2012-03-19

ジョブズ=アップルについて考えた。


アップルのどこまでがジョブズの功績かというような問題は、まあおそらくどんなに精密にやったところで正確な答えが出ないだろう。そういう問題を考えるのはゆううつなので、とても取り組む気になれない。

そこで気がついたんだけど、考えてみればジョブズが生きていた時だけに限って考えれば、そのどこまでがアップルの非ジョブズ部でどこまでがジョブズかを区分しなくてもよいわけだ。私たちが知っているすばらしきアップルを振り返って、私のようなふつうの人にも役に立つ教訓を引き出してみよう。

1自分が本当にやりたいことをやる
ジョブズはスタンフォード大でのスピーチで、アップルに戻ってきた理由を「love」というキーワードで語った。loveというのは、likeよりも強い語だ。人は、自分が大好きなことを仕事とすべし、あるいは取り組むべし。

2ミッションを持つ
子供がジョブズのドキュメンタリー番組(有料)を見ていたので、つい、のぞき見したら、ジョブズが「すべての人にコンピュータを」というミッションを持っていたということに触れていた。ここは規模感のあるところだが、それは人それぞれ、自分に見合った規模感のところで設定すればよい。

3期待にこたえる
コミュニケーション能力ということでもあろうかと思いますが、結果的にこれだけジョブズ=アップルがヒトビトに愛されているということは、期待にこたえているからに違いない。結果から原因を推測。

実際、1を仕事とすることで、人は長続きする。そして2のミッションを持つことで、目的がぶれない、ビジネスのさまざまな場面での意志決定が容易になる。好きなことに取り組むことが一番大切だけれども、自分が楽しいだけならば、ほんとにお手軽な実現方法だってなくはない。しかしミッションは、その行為を通じて、たとえば他のヒトビトに貢献するなど、なかなか実現できないようなことを達成しようというものだ。

ジョブズ=アップルはもうない、と知った時、いまこそコンピュータ(をつくる)会社をつくる時なんだろうなあ、と思った。コンピュータというのは、もはやデスクトップでもラップトップでもなくて、iPhoneやiPadみたいなものだろう。いやもっと違うものかもしれない。服みたいに着るものかもしれないし、ヘッドギアかもしれないし、まだできていないから何だかは分からない。何であるかはともあれ、それを狙ってくれそうな人は……もしかしてザッカーバーグ氏? などと憶測もだんだん逞しくなるけれども、作りたいという人にはかなりのチャンスだろう。

一方、ミッションとしての規模から見ると、ジョブズがアップルを立ち上げたのは1976年というから、その時点と今とでミッションの中身がほとんど同じ、ということにも改めてため息。今それをイメージすることのなんてたやすいこと!

裏返せば、70年代にそれをイメージすることのなんて偉大なこと、ということにもなるのだろうが、それほど杓子定規に捉える必要もないと私は思います。未来のことは、どんな天才にだって、ぜんぶわかるというわけにはいかない。ミッションを抱いていたからこそ、「私はこっちへ行こう」がぶれないことができるのであって、そりゃ、ジョブズだって行ってみなきゃわからないことはいっぱいあったに違いないのだ。

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